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これは花子による花子の為の花物語 第一話「4.7inchの世界で恋をする」

これは花子による花子の為の花物語

木爾チレン



プロローグ

第一話 4.7inchの世界で恋をする

第二話 真夜中

第三話 花物語

第四話 生命線

第五話 水占い

第六話 クラゲ

話 告白

第八話 これは花子による花子の為の花物語

最終話 花の雨

エピローグ




(試し読み)
一話と二話が読めます。



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第一話 4.7inchの世界で恋をする




 だんだんと真夜中へ溶けていく部屋のなかで、息をしている。

 花子はもう、この世界には存在していない。

 いま花子が生きているのは、この掌にすっぽりと収まる電子機器(スマートフォン)の4.7inchのディスプレイのなかで、それ以外はただ、身体という物体が息をしているだけの空間。

 ――起きているとき、花子はいつも、そんなふうに感じている。

 だから今はこの淡いピンクの電子機器だけが、地球に宇宙の果ての情報を伝える探査機のように、花子に世界を齎してくれる存在だ。

 でも花子は時々、機械ばかりを見ているのが、こわくてたまらない。

 小さな画面に浸っていると、だんだんと時間の感覚がなくなっていくような気がする。
 一分が、一時間が、一日が、一年が、まるで流れ星が通り過ぎるみたいに、一瞬で消えていく。

 けれど思い返せば、二年前から花子の時間は止まってしまっているのかもしれない。

 高校の卒業式の日――それ以降、花子はずっと家に閉じこもっている。二年間、一歩も外にでていない。


 といっても、ちゃんと毎日お風呂にも入っているし、おしっこをペットボトルに詰めて庭に投げ捨てるような、酷い生活ではない。

 だけど朝に起きる必要がないせいで、完全に昼夜逆転しているし、こうしてどこへも行けず、部屋に引きこもっている時点で、人間として最底辺なのは自覚していた。

 けれど歩いて五分のコンビニエンスストアでさえも、花子にとっては限りなく遠い。
 まるで北極点にさえ思える。

 誰か自分を知っている人間にばったり会ってしまうかと考えるだけで、こわくて足が竦む。
 靴を履くこともできない。

 家に引きこもるようになってからまだ日が浅かったとき、喉がかわいて、自動販売機にサイダーを買いに行こうとしたけれど、玄関に立った瞬間、気を失ってしまった。

 そんなふうに、外にでることを考えただけでも、身体が拒否反応を起こしてしまう。

 まるで呪いをかけられた野獣が、お城のなかに閉じ込められてしまったみたいに、花子は家から出られないでいる。


 すべてはこの「花子」――という名前が諸悪の根源だったのかもしれない。


 花子という名前は、花子の父がつけた。

 しかし花子は父のことを覚えていない。
 顔さえ知らない。
 一緒に暮らしたことがないからだ。
 なぜかといえば、花子の母と父は結婚していない。
 できなかったのだ。

 年頃のとき、ふたりは京都の今出川にある四年制の大学に通っていた。
 母は宮川町にある祖母の家から大学に通っていて、父は鞍馬口の安アパートで細々と独り暮らしをしていたらしい。

 出会った当時、二十歳だったふたりには、共通点が沢山あった。

 友達作りが苦手であること。
 東京出身であること。
 本が好きなこと。
 父は小説家を目指していて、母は四条の本屋でアルバイトをしていた。

 そんな二人が、恋に落ちないほうが難しかった。
 交際二年目の大学四年生になると、母は自然と父と暮らすようになった。
 安アパートで愛を育むうち、やがてふたりの間には子供ができた。
 それが――花子だった。

 二十一歳。まだ若かったが、母は絶対に産むと決めていた。

 妊娠六カ月目となった冬休み、ふたりは結婚の許しを乞うべく東京へ参った。
 母の実家にて、父が結婚させてほしいと申し出ると、母の両親は血相を変えて猛反対した。
 学生結婚なんて許さない、それに小説家なんていう不安定な職業では、娘と子を幸せにできないというのが理由だった。
 だがそれは表面上の理由であって、お嬢様育ちの母に不相応な父が気に入らなかったのもあったのだろう。

 父は「卒業をしたら働きます。小説を書くのはやめます。だから結婚させてください」と懇願した。
 けれど今度は、母がそれを拒否した。
 母は父の紡ぐ物語が好きだった。
 だから、書き続けてほしかった。

「自分の物語を、諦めないで」

 母は言った。
 父はその頃、名のある文学賞を受賞し、小説家としての一歩を踏み出したばかりだった。
 夢が叶った父の物語を、奪いたくなかった。

 そしてふたりは花子が産まれたあと、大学を卒業するとともに別れた。


 母は両親のもとへ帰らず、京都に留まって、祖母の家で花子を育てた。
 
この家はいわゆる町屋と呼ばれる建物で古い。
 だが小奇麗に使われていて、夏が暑いのと、冬が寒すぎる以外に、不便さはあまりない。
 それに持ち家で家賃がかからないため、母子家庭ながら比較的余裕を持って生活できたことが、何よりの幸いだった。

「私も若い頃は色々あったんや」
 祖母は口癖のようにそう言った。
 芸妓として長らくを生きてきた祖母は優しく、すべてを悟っていた。
 だが
花子が三歳のときに、風邪をこじらせ亡くなった。

 それから花子は母とふたりで暮らしている。
 父がどうしているのか、花子は知らない。名前さえも。
 小さい頃は気になって仕方がなかったが、幼いながらに訊いてはいけないことのような気がして、何も訊けないまま時間が過ぎていった。

 というわけで花子は標準語の母の言葉を聞いて育ってきたため、京都弁にはならなかった。
 それに濁りがない母のやさしい話し方が好きだった。

 二階にある八畳ほどの一室が、花子の部屋だ。
 部屋には、年季の入った勉強机、小説や漫画が千冊ほど詰め込まれた本棚と、備え付けのクローゼット、祖母から譲り受けた古いベッドだけが置かれている。


 そして、このような引きこもり生活が許されているのは、母がいつもこう言ってくれているからに他ならない。


「お母さんはね、花子が外に出たいとおもうまで、でなくていいと思うの。だって花子は、私が産みたくて産んだの。花子はこの世に生まれてきたくて生まれてきたんじゃない。だから、花子が家にいたいなら、いればいいのよ。それに私、寂しがり屋だからね、花子が家にいてくれて、うれしいの」


 花子が引きこもりになって一カ月が経ったときのこと、母はそう語り、にこりと笑った。


 母はいつだって優しい。
 だが花子は胸が痛かった。
 普通になれないことが、悲しかった。
 けれど花子にはもう、普通のなりかたなんてわからないのだった。



 発端は、花子が十歳の時だった。

 花子はシフォン素材であつらえられたノースリーブの赤いワンピースを母に貰った。

「いいお洋服を着ると、それだけで、物語の主人公になれるの」

 母はそう言って、毎年花子の誕生日になると新しい洋服を贈ってくれた。
 毎年、母が選んでくれる少し背伸びをした上品な洋服を花子は心待ちにしていた。

 母の言う通り、素敵な洋服に袖を通した瞬間は、物語の主人公になったように胸が躍る。
 花子はその日、うれしさのあまり赤いワンピース姿のまま眠り、そのまま翌日も学校へ着て行った。

 けれどそれが、事件の始まりだった。

 生まれながらにして色白の肌と、腰まで伸ばしていた黒髪、赤いノースリーブのワンピース、そして「花子」という名前が、そのとき学園の七不思議として知られていた「トイレの花子さん」の風貌とすべて一致すると、クラスメイトが騒ぎ出した。

 十歳の少年少女たちが、花子(イコール)花子さん認識するのに時間はかからなかった。

 しばらくのあいだ、花子が言葉を発するだけで、存在するだけで、悲鳴をあげるのが流行った。

 花子はなにが起こったのかわからなかった。ただ自分がトイレの花子さんになってしまったことだけは理解した。

 クラスメイトは飽きるのもはやく、一カ月もすればその遊びは廃った。


 だが花子のなかでは終わらなかった。


 事件が忘れ去られた頃、「ねえ花子ちゃん、一緒に帰ろう」そう再び話しかけられても、返事はできなかった。
 いままで仲が良かったクラスメイトほど、その変化のめまぐるしさが、信じられなかった。

 それからだ。
 花子が言葉を発することは、極端に減った。

 いつ甲高い悲鳴を上げられると思うと、こわくてたまらなかった。
 こんな悲しい想いをするのならば、誰からも認識されないほうがましだと感じた。


 そして花子は、前髪を伸ばして目を覆い、世界をシャットダウンした。

 赤いワンピースは、クローゼットにしまい、二度と身に纏うことはなかった。


 もう花子は、物語の主人公にはなりたくなかった。

 母は察したのだろう、花子が中学を卒業する頃には、洋服を買ってくることはなくなった。

 花子は地味な色の洋服ばかりを選んで着た。花子は影になりたかった。

 そうしたら、誰に踏まれてもちっとも痛くない。



 それから中学生になり高校生になった。

 その頃には、花子はもう完全な影だった。


 気味が悪かったのだろう、授業中、教師でさえも花子をあてようとはしなかった。
 けれど花子は安堵していた。
 教師たちは、私立高校故に、花子が不登校になり、問題になることを最もおそれていたのだろう。
 教室に存在して、テストで平均点以上をとれば、何も話さなくても文句は言われなかった。

 その結果、年月が経つたび、花子はいつしかうまく喋れなくなっていた。
 誰とも喋っていないのだから、当然ともいえる。

 耳に入るすべての言葉は、自分の悪口に聞こえた。
 思い過ごしであることが大半だったけれど、何も話さない、幽霊のような花子の悪口を言っているクラスメイトはきっと少なくなかった。

 耳を塞ぐかわりに花子は、本を読んだ。
 本を読んでいれば、その世界に没頭できる。

 けれど、どれほど素晴らしい本を読んでいるときも、花子はいつだって心臓が止まりそうなくらい辛かった。

 十七歳にして、花子は生きているのがいやだった。
 はやく寿命が尽きて、死んでしまいたい。
 ずっとそう、願っていた。

 この世界から、消えたいと。



 でも二十一歳の花子はいま、心からそう思えないでいる。


 4.7inchの世界で、恋を――してしまったからだ。




 時折降る雨の音だけが響く部屋のなか、花子はレンという男の子からのメッセージが送られてくることをだけを、心待ちにしている。

 レンからのメッセージを受信するたび、止まっていたかのような花子の心臓は息を吹き返す。

 それはレンと通信しているときだけ、自分が花子であることを忘れられるからだ。


 ――一年前の、三月三十一日。


flower(フラワー) story(ストーリー)」という、スマホアプリのなかで、花子≒カコは、レンと出会った。

 カコというのは花子がアプリのなかで使っているハンドルネームだ。
 ネット上では、架空の名前を使っても誰にも怒られない。
 むしろ本名を名乗っている人のほうが少数派であり、レンという名前が本名であるかもわからない。


 
flour(フラワー) story(ストーリー)――略してフワストは、主に花を育てて自分のショップに並べ、売ってゲーム内のマニマニという通貨を得て、ショップのインテリアや、アバターに身につけさせる品物を買うだけの単純なゲームなのだが、一年前、驚異的に流行った。

 リリース当時「あなただけの物語がここに!」確かそんなキャッチコピーと共に、テレビコマーシャルが毎日のように流れていて、花子はなかば洗脳されるようにインストールしたのだ。
 
flour(フラワー) story(ストーリー)という名前も気になった。


 花子は常日頃本ばかり読んでいて、あまりゲームなどはしたことがなかったし、おそらく得意でもなかった。

 だからはじめは興味本位、あるいはひまつぶしに過ぎなかった。
 なのに気がつけば、時間が有り余っていたことも相まって、夢中でのめり込んでいた。

 ゲームが得意でなくても、基本的には花を育てて収穫するだけでよかったし、自由にパーツを組んで制作する理想の自分像であるアバターに、獲得した洋服を着せるのがたのしかった。
 仮想空間なら、どんな洋服を着ても嫌なことが起こることはない。

 それにゲームのなかの花子は花子じゃない。

 カコだった。

 ただ一つ、このゲームアプリは、フレンドがいないとレアアイテムを集めるのにかなり不利な仕様になっていた。

 花子にはどうしても欲しい洋服のアイテムがあったが、それはフレンドから入手できる(レア)花を育てなければ手にいれられないものだった。

 けれど花子は、見ず知らずの人にさえフレンド申請を送るのがこわかった。拒否されるかと思うとボタンを押すこともできなかった。



レン 〉はじめまして。フレンドになってください。



 メッセージが届いたのは、そんなときだった。

 それは花子にとって額に雨のはじめの一滴が落ちてくるような確率だったのかもしれない。
 だがレンはフレンド集めが重要になってくるこのゲームにおいて不特定多数にそう送っていたのだろう。

 なぜならそのメッセージは、ただの定型文だった。
 けれど花子の心臓はぎゅっと掴まれた。
 普段ゲームなどしない花子には、それが定型文だとはわからなかった。

 花子はすぐに承認ボタンを押すとメッセージを送り返した。


カコ 〉はい。誰かフレンドになってくれないかなって、思っていました。だから、申請してくれてありがとう。


 送信後、花子の胸は異様なまでに波打っていた。

 二分後、キラリンと通知音が鳴った。
 返事が来たのだとわかったのは、こんな真夜中に花子のスマホが鳴ることはないからだ。


レン 〉フレンドになってくれて、ありがとう。カコさん、よろしくね。


 メッセージ画面をひらいた瞬間、花子の心臓は撃たれたようにドクンと飛び跳ねた。


 だって、はじめてだった。


 誰かからこんなふうに返事をもらうのは。

 人との関わりを避けてきた花子は、母以外からメールの類を受信したことはなかった。

 壊れそうなほど、全身がどきどきしている。

 花子は心を落ち着かせるべく、天井にプラネタリウムが映しだす満天の星空を投影した。

 それは家庭用の小さなプロジェクターで、誕生日プレゼントに母親がくれたばかりの品だ。
 きっと、外にでられない花子のことを思って買ってくれたのだろう。
 
ゆっくりと回転する偽物の星空を眺めながら、花子はベッドに横たわり、深く呼吸をした。


 今、ここがほんとうに夜空の下ならば――花子は星空に向かって叫び出したかった。


 幻想のなか、花子は高層ビルの屋上から、街中に灯るひかりの点々を見つめる。

 点々のすべてに人が住んでいて、それぞれがそれぞれの感情で息を吐きながら生活をしている。

 この点々のなかに、花子と同じように部屋のなかに閉じこもっている人間はどれくらいいるのだろう。


 そのなかで外に出られた人は――この世界の何を見に行ったのだろう。

 深い傷をかかえながら、何を見たいと思ったのだろう。

 花子の心に浮かんできたのは、桜の花だった。

 花子は偽物の星空の下、返事を送った。


カコ 〉いいえ、こちらこそありがとうございます。レンさんのフラワーショップ、とても素敵ですね。見たこともない(レア)花がいっぱいで。


レン 〉そうですか? 毎日暇でスマホばっか触っているダメ星人です。カコさんのアバターは、おしゃれですね。


カコ 〉いえ、私もダメ星人です。アバターに着せるかわいい洋服が欲しくて、今日はずっと夢中でチューリップを育てていました。


レン 〉じゃあお互いダメ星人ということで、これからよろしくです。笑


 その夜、これまで不特定多数に送られた情報を表示することしかなかった花子の孤独な機械は、花子だけに向けられた情報を受信して、キラリンと鳴り続けた。

 通知音が鳴るたびに、花子はどうしようもなく生きている感覚に包まれた。
 コンピュータではない、この世界のどこかで生活している誰かが、自分だけに言葉を紡いでくれているなんて、なんだか奇跡みたいだった。


レン 〉質問していいですか? カコさんは、何歳ですか?


カコ 〉私は、二十歳です。


カコ 〉レンさんは?


レン 〉俺は二十四歳です。二十歳だったら、大学生ですか?


 でも明け方、その質問が、花子を現実に引き戻した。


 否応なしに脳裏に蘇る。

 二年前の、卒業式のこと――。

 花子は大学生になる予定だった。
 眠る時間を削り、一生懸命に勉強をして受かった大学だった。
 でも、行けなかった。

 本当のことを言ってもいいのか、花子は躊躇した。
 嘘を吐いてもバレないだろう。
 引きこもっているなんていうネガティブな情報を伝えれば、返事が来なくなるかもしれない。


 それに嘘を吐いたほうが、自分ではない女の子に
――カコになれたのかもしれない。


カコ 〉私、少し嫌なことがあって、高校を卒業してから、引きこもっているんです。ダメ星人過ぎて、引きますよね。


 それなのに花子は、嘘を吐けなかった。

 だがそれもきっと、レンが会うことのない相手だったから。

 だけど花子は、すぐにその選択を後悔した。


 それまで十分間隔で続いていたメッセージの返信が、ぱたりと来なくなったからだ。


 考えてみれば当然だった。
 引きこもりなんて情報から、間違ってもかわいい女の子の容姿は連想させない。
 相手に浮かぶのは、間違いなく、暗く陰鬱なイメージだろう。


 レンから返事がこなくなって、ふたたび花子は真夜中に取り残された。


 というよりずっと、真夜中のなかだ。


 花子はプラネタリウムが放つ光の下、花子はとりつかれたようにスマホを操作し始めた。

 Twitterをひらき、不特定多数に向けられた会ったこともない人のつぶやきを、永遠にスクロールする。
 アカウントは持っているけれど、自分で何かをつぶやいたことはない。
 いつもただ、他人が吐く言葉を無表情に眺めていた。
 トレンドを知っても、引きこもっている花子には何も関係ない。

 会ったことのない芸能人が死んでも、人気アイドルグループの誰かが引退しても、悲しい気持ちにはならない。
 それは花子にとって、ただの情報だった。

 なのに毎日、この世界のことが気になるのはどうしてだろう。

 わからないままに、花子は最新情報を入手し続けた。

 そのうちに花子は眠ってしまっていた。


 浅い眠りだった。
 だからだろう、夢を見ていた。

 夢のなかで花子は階段を登っていた。
 永遠に続くような、長い階段だった。
 それでも上り続けていると、次第に頂上が見えてくる。


 大丈夫、きっと会える……――誰に会えるのかもわからないのに、夢のなかの花子は、そう思った。


 何時間かして、キラリンと鳴る音で花子は目を醒ました。
 部屋は薄明るい。
 明け方だった。
 握り締めたままのスマホには三件の通知が表示されている。


レン 〉引いたりしませんよ。


レン 〉俺も大学を卒業してから、就職うまくいかなくて、二十
にもなってフリーターでダメ星人すぎて嫌になります。何があったのかはわからないけど、カコさんはまだまだこれからだと思います。


レン 〉というか歳も近いことだし、敬語やめませんか?笑


 返信を読み、枯れた花が一瞬で蘇るかの如く、花子は生き返った心地になった。

 深呼吸をして、スマートフォンを抱きしめながら天井を仰ぎ見る。
 プラネタリウムが映し出す空は、いつの間にか冬から春に変わっていた。







 それから一年が経ち、今日に至る。

 毎日ふたりのメッセージ交換は続いている。レンという名前が通知画面に表示されるたび、花子はレンを好きになっていった。

 時間がとまった部屋のなか、レンからの返事だけがリアルで、花子の生命線だった。


レン 〉カコ、おはよう。今日もバイトです。桜が満開だね。


 レンは真夜中のコンビニで働いていて、一日二回、夜のはじまりの時間帯と、バイトが終わる明け方にメッセージをくれる。
 レンはいつも夜でもおはようという。花子はそれが何だか好きだった。

 当然だがレンは花子のことを「カコ」と呼ぶ。

 レンにカコと呼ばれるたび、花子は花子ではない、カコになった。カコという名前で生まれてきたような、そんな気さえした。


カコ 〉行ってらっしゃい。毎日、偉いね。


カコ 〉そういえば昨日、窓から見た桜も、満開だった。もう春なんだね。


 送信したあと、ぼんやりと振り返る。


 昨夜のこと――花子は少女漫画が原作の恋の映画を観ていたが、いつしか眠ってしまっていた。


 映画の影響か花子は、花びらが降る街で会ったこともない男の子とデートをしている夢を見ていた。

 そんなことは、夢のまた夢だというのに。

 そして今朝、なんだか虚しい気持ちで花子は目覚めた。
 もう二年も切っていないボサボサの髪が視界に纏わりついて世界は暗い。

 ベッドから起き上がり、植物が光合成を必要とするように身体に光を浴びようとしてカーテンを開ける。

 その瞬間はっとして、まだ夢を見ているのかと思った。

 だっこの間見たときは、世界は冬の色をしていた。
 でも花子の眼のなかには、まぶしい春が広がっていた。
 美しい春が。

 いつの間に咲いたのだろう。
 満開の桜が輝いていた。

 そのなかでいちはやく短い生涯を終えたピンクの花びらが、濁りきった花子の視界のなかにはらはらと落ちていく。


 その花びらを見つめながら花子は想像していた。


 桜の雨が降りしきるなか、レンと歩く自分を。


 でも花子は知らない。

 レンの顔も。
 どんな声で話すのかも。
 どんなふうに笑うのかも。


 知っているのは二十
歳であるということ。
 東京に住んでいること。
 大学を卒業してから就職がうまくいかず、コンビニエンスストアでアルバイトをしていること。

 ゲームが好きで漫画はたまに読むけど、小説はあまり読まない。
 好きな映画はサマーウォーズ。

 たったそれだけ

 それに花子とレンが言葉を交わしている世界は、現実であって現実ではない。
 そこは、たった一秒で消してしまえる
仮想空間(アプリ)だ。

 けれど花子にとってはいつしかそこが現実世界だった。

 レンに恋をしてから花子
はそこで息をしていた。





 真夜中がはじまる。

 花子はフワストを開いて、レンのプロフィールページを眺めている。
 ハンドルネームの下の行には、birthday 41日と記載されていて、スマホの上部には3312330分の表示がある。

 つまりもうすぐレンの誕生日だ。

 できるならばプレゼントを渡したいと思うけれど買い物に行くことなどできないし、だいいちレンの本名も住所も知らない。
 そんなことを訊ねるのはマナー違反だろう。

 だからせめて、0時ぴったりにメッセージを贈りたい。

 昨夜から花子は、どんな文面にしようか真剣に考えている。
 好きな人の誕生日にメッセージを送ることに――ずっと憧れていた。

 映像のなかでしか見たことのない東京。母と父が住んでいた東京。

 大勢の人が行きかうのだろうその街のどこかで、レンが生活している姿を想像しながら花子は文章を綴った。


カコ 〉レン、お誕生日おめでとう。

カコ 〉この世界に生まれてきてくれて、ありがとう

カコ 〉私と出会ってくれて、ありがとう。


 0時になるのを見計らって送信する。
 その瞬間、言葉はただの信号となり、京都から東京へ約五百キロメートルの距離を、一秒もかからず走っていき、再び言葉として受信される。

 この小さな電子機器が一台あれば、ただの引きこもりでしかない花子の言葉が、どこまでも届くのだ。
 例えばTwitterに気の利いた言葉をつぶやけば、何十万人に読まれる結果になる可能性だってある。

 そんなことは望んでいないけれど、少なくともいまの花子にとってネットだけが息のできる場所だ。


 私はこんな世界を――ときどき不思議に感じる。


 だって花子は部屋から一歩も出ていないのに、恋をしたのだ。


 もう何年も声を放っていない所為で、花子はうまくしゃべることすらできない。

 でも文字なら、小説のせりふを紡ぐように自分の気持ちを吐きだすことができる。

 しかし――花子は出会ってくれて、と書いたけれど、レンからすれば違うのかもしれない。

 何しろ花子とレンは現実世界で会ったことはない。

 けれど花子にとっては、レンが存在する画面こそが現実で、だから花子からすれば、出会ったという表現に間違いはなかった。

 メッセージはすぐに既読になった。レンはバイト中だから、あまりスマホを見られないはずだったが、タイミングがよかったのだろう。

 既読という表記を目にして、花子の心臓はどくんと高鳴る。

 それから一分もしないうちに通知が鳴った。

 真夜中に花子のスマホが音を鳴らすとき、差出人はレンの確率が百パーセントだ。

 産まれたばかりのように花子の胸が高鳴る。
 いつだってレンから連絡が来るだけで、花子の心はうれしさで満開になる。


レン 〉俺も、ありがとう

レン 〉あとさ……突然なんだけど、会いたいです

レン 〉よければ、カコの都合のいい日、京都へ会いに行ってもいいかな?


 けれど返ってきたメッセージに、花子は途端に息ができなくなった。

 顔がこわばって、指が震える。

 握り締めている4.7inchのディスプレイから、これまでレンと紡ぎあげてきた会話が、ぽろぽろとこぼれ落ちていく。
 電気はついているのに、目の前が真っ暗になっていく。

 耳のなかに嫌なざわめきが漂う。誰かのひそひそ声と、誰かへの悪口と、悲鳴が混じり合う。
 まるで昨日のことのように、この世で最も忌まわしい記憶が蘇ってくる。

 いやだ。
 こわい。

 傷つきたくない。


 もう誰も好きにならないと、そう思っていたのに。
 だって恋は素晴らしいものじゃない。
 恋なんてただ心が痛いだけ。


 私はもうそれを――知っているのに。




 ずっとアプリを起動していた所為で、熱を帯びたスマホを握り締めながら、花子は意識を失った。





→第二話に続く。(男三話からは、本書にてお楽しみください。)



これは花子による花子の為の花物語 第一話「4.7inchの世界で恋をする」_b0369222_22550172.jpg

宝島社より、全国の本屋さん、ネット書店にて発売中です。






by 1000ve | 2019-04-18 22:59 | これは花子による花子の為の花物語(試読)

小説家の木爾チレン(chiren kina)です。このブログでは、電車のなかや、カフェ、学校の休み時間にゆるく読んでいただけるような「掌編」を中心に、お仕事のお知らせ、日々の戯言など、ふんわりと掲載していけたらと思っています。


by 木爾チレン / chirenkina